2019年8月25日日曜日

「絶滅の人類史」 更科功

令和元年6月5日(水)
by Eiji.K

 人類史について最近のTV放映でNHKスペシャル人類誕生1~3部(MC 高橋一生)や人類誕生・未来編1~3部が放映されていたので、この本のダイジェクトに本に書かれていない知見もTVから追加した。

◇ 大型類人猿の系譜
(1500万年前)
  共通祖先→オランウータン系統 → → → → → → → → 
        ↓
      ゴリラ系統 → → → → → → → →
        ↓(700万年前)   チンパンジー系統 → →
         → → → →        ↓
                           →ボノボ → →

                   人類系統 → →

◇ 人類の誕生は700万年前

◇ 現在の我々の人類(ホモ・サピエンス)は30万年前に誕生した。
ゴリラ系統から発生した人類系統の誕生からホモ・サピエンスまでに至る期間には20種類の人類の種類が誕生している。そして、ホモ・サピエンス以外の人類は全て絶滅している。

◇ 人類は4足の共通祖先から進化し、二足歩行になったが、ゴリラやチンパンジーのナックル歩行(指の背を地面につけて歩行する)から進化したのではない。
→ゴリラやチンパンジーは独自の進化でナックル歩行になった。
⇒人類はチンパンジーから進化したのではない。

◇ 700万年前にゴリラ系統からチンパンジー系統と人類系統に分かれたが、人類系  
  統の特徴は以下の2点
  〇 直立二足歩行…人類以外に直立二足歩行する動物はいない。
    (欠点)1.四足より走るのが遅いこと、草原で目立つこと
→肉食獣に食べられてしまう。
         ⇒木のある所に逃げるしかない。疎林で進化した。
   ・最初の人類(サヘラントロプス・チャデンシス~アルディ         
       ピテクス・ラミダス)人類系統ができてから3世代まで、260万年たっても脳の大きさは350㏄とチンパンジーと変わらない大きさ。身長120㎝程度、森林の食物を主にした雑食性で木の上に枝や葉でベッドを作り寝ていた。
        2.難産になる。
         →脳が大きくなった250万年前
  〇 犬歯の縮小

◇ 牙=犬歯が人類で縮小した理由
  ・社会形態 ゴリラ=一夫多妻の群れ
        ボノボ・チンパンジー=多夫多妻の群れ
  ・オスと発情したメスの割合
        ボノボ:2~3頭のオス:メス1頭
        チンパンジー:5~10頭のオス:メス1頭
  ・人類以外の類人猿には発情期がある。
  ◎ メスを争うオス同士の戦いには牙が必要であるが、人類にはメスの発情期はなく、オスとメスの割合は1:1の一夫一婦制となったので戦いに必要な牙は縮小されていった。…オス同士の争いがなく、子育てに専念できる。

◇ 集団生活の中で一夫一婦制のペアを作ったのは人類が初めて。

◇ オスがメスや子のために食物を手で運ぶ(食料運搬仮設)が直立二足歩行を進化させた理由

◇ アウストラロピテクス 420万年~120万年前
  アフリカの乾燥化→森林から草原へ進出  
足の親指が真っすぐで、足に土踏まずがある。
ただし、直立二足歩行は走るのが遅く、肉食獣に食べられてしまうことは避けられなかった。

◇ 人類の対応策
  食べられてもたくさんの子どもを産むことで絶滅しない方法をとった。
  チンパンジーの出産期間は5~7年周期で、生涯を通じて6匹程度を育てるが、母親が全て一人で育てる。
  人類の出産期間は1年で子育ては周りの人たちで育てる。…人類は仲間を持つ集団生活で生き延びてきた。
 ◎ 進化では「子供を多く残した生物が生き残る。」

◇ 初期人類(サヘラントロプス・オロリン・アルディピテクス等)のアルディピテクスは440万年前~420万年前に絶滅(気候変動で森林の乾燥化等)し、アウストラロピテクスが出現した。

◇  頑丈型猿人→あごの強い頑丈型猿人は絶滅
  アウストラロピテクス 華奢型猿人
ホモ属 約250万年前

◇ 直立二足歩行の利点
  長距離を走ることができる。 草原で動物の死骸を早く見つけ取得することができ、手でメスや子供に持って帰ることができる。(家族制度の発展)
  (ゴリラやチンパンジーにマラソンはできない。)
  ホモ・エレクトゥスの足の指は短くなり、尻の筋肉は大きくなった。また、走るのに重要な三半規管が大きくなった。

◇ 人類の体毛が無くなった理由 
  走るためには汗を出し体温を下げることが必要で、ホモ・エレクトゥスが現れた約190万年前ごろに人類は体毛を失った。

◇ 石器→動物の死骸や骨髄を食べるのに必要。
  打製石器(オルドワン石器)  約260万年前  
  磨製石器(アシューリアン石器)

◇ 人類誕生の700万年前から約450万年間、人類の脳は大きくならなかった。
  人類は石器を使い始めてから脳が大きくなった。
  脳は体全体のエネルギーの20~25%を消費する効率の悪い機関である。
  カロリーの高い食物は肉である。人類は石器を作るようになったので肉を食べられるようになり、脳は大きくなった。

◇ 脳の大きさ
  現代人:1350CC
  ホモ・ハイデルベルゲンシス:1250CC
  ネアンデルタール人:1550CC
  ※ 脳の大きさと知能の大きさはあまり関係がない。

◇ 肉食獣であるライオンは肉を食べるために牙を大きくしたが、エネルギーを大きく使う脳を大きくしなかった。

◇ 肉食で脳が大きくなる理由
  ➀ 肉はカロリーが高く脳のエネルギーになる。
  ② 消化しやすい食べ物である。
    植物の栄養価は低いのでゴリラやチンパンジーの活動時間は半分以上が食べたり消化している時間になる。
    食事や消化に時間がかからなくなれば暇な時間ができる。
    ライオンがゴロゴロしているのは暇だからである。
    知的活動は暇が必要  腸も短くなり、ウエストも細くなる。

◇ 脳が大きくなると他人に対する思いやりの心が生じる。人類は心を持つ生物に進化した。

◇ 10万年前に生存していた人類
  ホモ・サピエンス ネアンデルタール人 ホモ・フロレシエンスは共存していた。
  約4万年前にネアンデルタール人が絶滅すると私たちは一人ぼっちとなった。

◇ 出アフリカ
  約180万年前にホモ・エレクトゥス類がアフリカからユーラシアに出た。
  
◇ 人類の2世代目になるアウストラロピテクス・ガルヒの脳容積は約450ccでチンパンジーやボノボと変わらないが、チンパンジーやボノボは石器を作れない。

◇ 人類は磨製石器を作るようになって、常習的に肉食をすることができるようになった。

◇ 火の使用理由
  ➀ 肉を焼いて消化しやすくする。
  ② 肉食獣から身を守る。
  ③ 体を温める。

◇ ホモ・ハイデルベルゲンシスの出現
  約70万年前~20万年前  脳容量1100cc~1400cc 
  槍の発見…狩りをしていた。

◇ 脳が大きくなった理由
  ① 肉食を始めたこと。
  ② 群れを作るようになったこと。(複雑な社会関係を処理する。)

◇ ネアンデルタール人…約43万年前~4万年前まで生存した最も近縁な生物
大きな動物を槍などで狩っていた。
            脳容量1550cc(ホモ・サピエンスより大きい。)  
被服・火を使用していた。

◇ ホモ・ハイデルベルゲンシスの一部がアフリカからヨーロッパに渡り、ネアンデルタール人となった。ホモエレクトゥスの一部はアジアに行き、北京原人やジャワ原人となった。

◇ アフリカの残った集団からホモ・サピエンスが進化した。

◇ 現在のホモ・サピエンスの起源は約30万年前

◇ 19万年前の気候変動(氷期)でホモ・サピエンスは絶滅の危機…1万人まで減
  少
  南アフリカの海岸まで移住し、貝(ムール貝)を食し生き延びることができた。
  人類には海産物を食べる好奇心があった。また、ホモ・サピエンスの遺伝子の多様性が少ないのはこの時の影響が大きい。

◇ ホモ・サピエンスの一部がアフリカからヨーロッパに進出し、4万3000年前に
  ヨーロッパを占拠してしまう。…ネアンデルタール人は4万年前に絶滅する。

◇ ネアンデルタール人が絶滅した理由(寒さとホモ・サピエンスの進出による。)
ホモ・サピエンス=アトラトル(投槍器)
  ネアンデルタール人=突き槍、投げ槍
  ・狩猟技術が劣り、投槍器などの文化を受け入れる社会的基盤が弱かった。
  ・がっしりとした体格で基礎代謝量はホモ・サピエンスの1.2倍で食糧確保が大    
   変
  ・寒冷な気候にホモ・サピエンスは骨の針で毛皮の服を作っていた。
  ・ホモ・サピエンスは雑食能力が高かった。
  ・ネアンデルタール人は10人程度の小集団活動であったが、ホモ・サピエンスは数百人規模の社会集団となり、色々な発明や情報を共有でき、人の連携ができる集団となった。…宗教の始まり

◇ ネアンデルタール人の脳:1550cc
1万年前のホモ・サピエンスの脳:1450cc
現代人の脳:1350cc
文字の発明で脳で記憶していなくてもよくなった、数学の論理で思考が節約できるようになった等なのかは不明
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスにはない自然への感情等未知のものを脳に持っていたかもしれない。

◇ ホモ・フロレシエンシスは約5万年前に絶滅したが、ホモ・サピエンスのオーストラリア進出と同じ時期であり、ホモ・サピエンスの影響が大きいと考えられる。

◇ ホモ・サピエンスは他の人類と交雑していた。(5万5千年前から)
  現代人のDNAにはネアンデルタール人のDNAが2%程度残っている。

◇ ホモ・サピエンスはたくさんの子供を産み、育てていくと、結果として他の生物はその生息地を奪われ、絶滅していく。地球は有限の場所なのだから。
  現代でも人類は絶滅危惧種を絶滅に追いやっている。

◇ ホモ・サピエンスが繁栄した理由として、道具の発明が大きい。
  ・北極圏に進出できたのは寒さを防ぐ防寒具を作る針を発明したこと。
  ・全世界に進出するためには海洋を渡る船が必要になるが、斧を作り、大木をくり抜く丸木船を作ることができたこと。

◇ ホモ・サピエンスはアフリカからヨーロッパに進出し、世界に広がっていった
と考えられていたが、沖縄にヨーロッパよりも2000年も前にホモ・サピエンが
進出していた遺跡が発見され(白保人)、従来の歴史が書き換えられようとして
いる。

<感想>

◎ 人類の歴史から見て、ホモ・サピエンスはいずれ出現するだろう進化したNEW人類にとって代わられるのだろう。ホモ・サピエンスだけが将来的にもそのまま反映し続けることはあり得ない。(数十万年~数百万年後)

◎ 生物一般(生物数は3000万~5000万種存在する。)は自らの種を将来に継続・発展させるために生きているといえる。

◎ そのため、“食うために生きている”ことが現実の生きざまである。

◎ 現代人は科学技術の発展により食糧確保が可能となった。(飽食の時代)
  “生きるために食う”時代となっている。 餓死を経験しなくてよい時代は初めてである。

◎ 人類は他の生物に凌駕するため、戦術としてその数を増やしてきた。現在、生物の頂点に立ち、その数を増やす必要性はなくなったが、その数を異常に増大させている。…資料参照

◎ 人類は他の生物を絶滅させながら生きながらえているともいえる。

◎ 近年の世界の潮流である高齢化、少子化、未婚率・離婚率の増加、自然環境の悪化等からホモ・サピエンスは衰退の方向に加速度的に移行しているのではないか。

◎ 新しい人類が700万年の間に次々の出現してきたが、その滅亡理由としてネアンデルタール人の例等は種々に研究されているが、新たな人類が出現した契機やその必然性の理由は何なのかは不明となっている。

◎ ホモ・サピエンスの次の人類はすでに生まれているかもしれないと想像できる。

◎ 今後の人類の存在理由は何か。


以上

2019年8月21日水曜日

「コンビニ人間」  村田紗耶香

令和1年8月21日(水)
by Eiji.K

◇ 最近の芥川賞はあまり面白くなく、短編小説はつまらない印象があるが、この小説は不思議な世界を描いており、一気に読むことができ、本の面白さを感じた。

◇ コンビニ店員は全ての行動がマニュアル化されているが、それに従って行動することは一種の快感を得ることになるのだろうか。テレビゲームにはまると一日中やり通す若い人がいるが、没頭する楽しさと奥深さはあるのだろうと思う。

◇ この小説の魅力は従来の世間常識を超越した異次元の世界を垣間見せているのではと思わせるところがあり、読後感としてこういうコンビニ店員の世界、新しい感性があるのだということを知らされたということではないか。例として、食事することは栄養バランス、旬の素材摂取、いかに美味しく食べるかなどを考慮することが今までの常識であるが、小説では食事は単に生命維持の餌としかとらえていない。

◇ 一方で、芸術家の世界では異次元に立つことはむしろ歓迎されることであるが、コンビニという無機質な管理された世界にこのような店員が現れたことがこの小説のミソなのではないか。

◇ 白羽さんのいう「縄文時代」の社会の掟は、現代に引き継がれ「世間常識」として生きながらえているが、現代の社会基盤は少子高齢化、自然環境変化等で大きく変容してくると、それに合わせて「世間常識」も変わらざるを得なくなっている。そうした時代の流れを小説を通して感じさせられるのが良いところだ。

◇ 日本で100万部を突破し、世界でも翻訳され売れているということは、この小説で提起している時代の流れが世界でも共通項となっていることを示している。

以上

2019年4月3日水曜日

「洟をたらした神」  吉野せい

平成31年4月3日(水)
by Eiji.K

◇ 農業開拓民として生き抜いた作者の歴史をたどる内容であるので、文体が重く、一気に読むことができず読破するに時間がかかった。

◇ 作者が最後の方で述べているが、農業が始まった時代から昭和の40年代頃までの開拓民の生活はあまり変わっていないのではと思われ、その意味でここに書かれている生活・感情・自然との関係等は貴重な歴史遺産であると思う。

◇ 各編の感想

● 春
  めんどりが11羽のひよこを一人で育て、作者の家に帰ってくるという話は家畜に対する深い愛情が感じられ、感動的である。
● かなしいやつ
  北海道開拓で疲れ果て、なくなった友人猪狩満直の話
● 洟をたらした神
  おもちゃのヨーヨーを買い与えることができない親の立場から、6歳の息子がヨーヨーを自ら作ってしまった驚きを書いているが、この話が表題になっている理由が不明。
● 梨花
  文章を読みながら目頭が熱くなった経験はあまりない。それだけこの文章は強烈で鮮烈である。この人の文章能力はすごいと感じた。
● ダムのかげ
  健康や命と引き換えの悲惨な炭鉱夫の話。
● 赭い畑
  夫が特高に連れていかれ、残された子どもたちと産後の作者がこの場所で生きていくしかないと思う様には開拓民としての逞しさを感じる。
● 公定価格
  戦前の闇取引は庶民生活の日常であったが、それを国家権力でいじめる話。
● いもどろぼう
  農作物泥棒は現代の社会現象ではなく、昔からあったという話。
● 麦と松のツリーと
  敗戦前後の外国人捕虜とのエピソード
● 鉛の旅
  入隊した息子に会いに行く母親の切なさが心を打つ。途中出会った出兵する息子を抱きしめて嗚咽する母親の姿に対して作者は、“とりすました仮面をかぶって人前をとりつくろう自分たちの嘘っぱちな世間体のみえをかなぐり捨てているむきだしたままのこの親子の別れの一幕に頭を下げろよ。一言の口出しも許さぬぶち割ったほんものの人間の極限の悲しみの姿がこれではないのかー”と述べている作者の鋭さ、感受性の豊かさに共鳴する。
● 水石山
  夫混沌とはどんな人物であったのか知りたくなるとともに二人の夫婦生活の心の機微表現がうまいと感じる。
● 夢
  夫混沌と山村暮鳥との関係はこの本ではよくわからないが、「夢」の中の文章で、“私の日頃の孤独冷酷な生き方は、周囲を凍らせ苦しませ、涙を与え憤らせていただろうか。つらいが決して間違いではない。”と言っていることが印象的である。
● 凍ばれる
  廃村の老人のわびしさを述べた暗い話
● 信といえるなら
  混沌とその友人たちの人間関係の経過が分からないが、作者の言う“凄まじい信頼”に羨ましさを感じる。特に、現代の時代にはこのような人間同士の深いつながりというものは生じにくい社会になっているのではと思う。
  また、混沌の詩の表現は少し難解であるが、吉野せいの文相表現にも通じるものがあり、影響を受けたのではと思う。
● 老いて
  混沌のこの詩を読むと夫婦関係はどんなものだったのかと思うが、吉野せいの我の強さがなければ厳しい開墾生活はできなかったのだろうと感じられる。
● 私は百姓女
  自然を相手にした農業を一生やり遂げた達成感は、サラリーマンとして組織で動いてきた達成感よりより充実するものがあるだろうということは理解できる。


以上

2019年2月6日水曜日

「スクラップ・アンド・ビルド 」 羽田圭介

2019/2/6
By Eiji.K

◇ 介護や若者の就職問題など現代の現実的な社会状況を題材にしているという意味では評価できるが、短編に近い分量によるためか、結局、作者は何を言いたいのかがよくわからず、読後感が軽い感じがする。

◇ この小説のその後(健斗の就職してからの生活、祖父と母の介護状況、亜美との関係等)がどうなっているかが書かれていると小説としての深みが増すのではと思う。

◇ 祖父の尊厳死をかなえる方法として「被介護者の動きを奪う。」方式(あらゆる被介護者の行動を介護の名目でさせず、体力・気力を衰えさせる。)は正しいやり方である。

◇ 介護体験は少ないが、介護で大変なのは食事・入浴・排泄である。
 特に排泄ができなくなると自分の尊厳が喪失されるらしく、当方の母の場合は、“人間失格である。子供になってしまった。”とよく言っていた。
 小説の中では書かれていないので祖父の介護状態はそんなに悪くはないのかとも思う。

◇ 気になったフレーズ
 ・「昼も夜もベッドに横たわり、白い天井や壁を見ているだけで、良くなりはしない身体とともに耐え続けた先に死が待っているだけなら、早めに死にたくもなるのではないか。」
 ・「人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。」
 ・「どのように死を迎えるべきかを自分で考えなければならなくなってしまった。ほとんどの人は昼も夜もない地獄の終わりをただじっと待つしかない。」
 ・「苦しんでいる老人に対し、“もっと生きて苦しめ”とうながすような体制派の言葉」
 ◎ 自分もこのような状況にならないためには“ぴんぴんころり”が理想となるのかとも思う。

2018年12月5日水曜日

「いっぽん桜」 山本一力

2018/12/5
By Eiji.K

[いっぽん桜]
◇ 話の題材はサラリーマン管理職の早期退職時の状況と同じで、江戸時代と現代での相違はないことが連想される。
◇ 特に長く勤め上げた管理職であった人が感じる定年後の激変する生活環境の変化に戸惑い、うろたえる場面は300年たっても今も昔も同じであることが新鮮に感じる。
◇ また、サラリーマン社会における上司との対応場面や、競合企業との関係なども時代が変わっていても基本的に同一であることも共感できた。

[萩ゆれて]
◇ 作者は、兵庫が武士を捨てた理由として、父親のこともあるが、“城勤めの武家は、作法通り前例踏襲を重んじ、変化や精気とは無縁な生き方を強いられる。その結果、仲間を恐れ、妬み、時には追従笑いもする。”と書いている。
  役人の官僚主義は、奈良時代に中国から輸入された政治制度によるといわれているが、江戸時代に確立され、明治時代以降も継続されて現代にまで引き継がれている。一方の漁師は、海を相手の命懸けの仕事で、仲間を信じ、助け合いながら生活する営みであり、兵庫が選択する理由はよくわかる。

[そこに、すいかずら]
◇ 日本は地震、噴火、台風等の自然災害が多い国であるが、都市における大火も大変であったことがよくわかる。(寛永寺の根本中堂、常盤屋の2度の焼失等)
◇ こうした事象は日本人に諦観、諦め、無常観等の気質を培ってきたとともに、一方で繊細さ、奥ゆかしさ、思いやり等の美徳につながったのだろうと思う。
◇ 特に、ヨーロッパの何百年もつづく石造りの家に住む環境にある人たちとの風土の違いを感じる。
 
[芒種のあさがお]
◇ 嫁ぎ先と異なる生活環境で育ってきたおなつが、姑の仕打ちに戸惑うのは江戸時
代の家という社会制度の中では避けられないが、現代の個人を尊重する社会では家制度から家族単位になっているので問題にはなっていない。
◇ 今後、さらに個人主義が進むと結果的に離婚率を押し上げ、家族単位さえも維持することができるのだろうかと思う。
◇ 人口の急激な増加と経済の発展で人の依って立つ基盤が大きく変わっていくが、
  この先はどうなるのだろうか。

2018年7月4日水曜日

「すてきな詩をどうぞ」 川崎洋

2018/7/4
By Eiji.K

◇ 当方にとって、詩を読む力がなく、詩は理解不能の分野であったが、この本を読んでその理由の一端が分かったような気がする。

◇ 理由は次の3点である。
 <1点目>
  最後に出てくる井伏鱒二の「歳末閑居」の内容は、解説にあるとおり、この詩が書かれた時代背景、作者の心境、境遇等が分からないと詩に書かれた内容を理解することはできないことが分かる。言い換えれば、その詩を分かるためにはその作者(詩人)の考え方、思想、感情、生い立ち、状況等を把握する必要があり、もっと言えばその作者(詩人)の他の作品も読んでいないと正確な理解を得ることはできないと思われること。
 <2点目>
  読者は、その作品が書かれたその時、その場の作者の感情を感じ取ることが求められるが、それは同じ感情移入を求められるような感覚になり、むしろ反発を感じることにもなる。感情移入を強制されるような気分になること。(考えすぎか。?)
 <3点目>
  数行か数十行で何かを表現することの限界を感じること。
  俳句や短歌はもっと短いのでさらに難しいことを感じる。

◇ 読書会で昨年1月に読んだ「木を植えた人」(ジャン・ジオン)の寓話は、あのぐらいの量の散文であれば、中に入っていけるし、また、分野は違うが、宮崎駿のアニメ作品や一昨年の映画「君の名は」のような数時間の間、視覚でみるロマン作品等は感情移入が可能である。
しかしながら、詩を読むことは、上記に書いたようにその背景を理解することが必要であり、詩を読む技術を習得することは私にとって、かなり難しいと思われる。

2018年6月6日水曜日

「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子

2018/6/6
By Eiji.K

◇ 桃子さんの心境は、実際に体験したものでないと書けない、つまり若い人には書くことができないものだろうということを感じた。そういう意味で今後の高齢化時代に合致した現在の時代が要求している題材であり、広く世間に支持されるだろう小説である。

◇ 桃子さんは74才であり、一般的には人生の坂を駆け下りていく年齢であり、今後は「残りの人生」、「余分の生き残り」というネガティブなイメージがあるが、それを払しょくする精神的にタフで前向きな姿勢に圧倒され、ある種理想的な老人を描いていると思う。

◇ 桃子さんは作者の分身であり、作者の夫の死は悲しみだけではなく、そこに豊穣があると言っているがこのことが小説のテーマであり、作者の言いたいことだろうと思う。

◇ 気になった文章表現
 ・ 娘に初めて老いを感じた。自分の老いは散々見慣れている。だども娘の老いは見たくない。
 ・ 自分より大事な子供などいない。
 ・ 自分のような人間、容易に人と打ち解けられず孤立した人間が、それでも何とか前を向いていられるのは、自分の心を友とする、心の発見があるからである。
   →前回の五木寛之の「孤独のすすめ」で“年を重ねるごとに孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知る。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半のすごく充実した生き方のひとつだと思うのです。”⇒老後の孤独をどう楽しむかが共通のポイントとなっている。
 ・ でいじなのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛に膝まづくのは止めねばわがね。
   一に自由。三、四がなくて五に愛だ。それくらいのもんだ。
 ・ おだやかで従順な自分は着込んで慣れた鎧兜、その下に凶暴な獣を一匹飼っていた。猛々しいものを猛々しいままで認めてやれるなら、老いるという境地もそんなに悪くない。
 ・ 周造が亡くなってからの数年こそ自分が一番輝いていた時ではなかったのかと桃子さんは思う。平板な桃子さんの人生で一番つらく、悲しかったあのときが一番強く濃く色彩をなしている。
 ・ 子供を育て上げたし、亭主も見送ったし、もう桃子さんが世間から必要とされる役割はすべて終えた。これからは桃子さんの考える桃子さんのしきたりでいい。おらはおらに従う。
 ・ いつか桃子さんは人の期待を生きるようになっていた。結果としてこうあるべき、という外枠に寸分も違わずに生きてしまったような気がする。
 ・ 周造は惚れぬいた男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きで見たかったのす。思い通りに我の力で生きで見たがった。それがおらだ。
 ・ まだ戦える。おらはこれがらの人だ。まだ、終わっていない。