2012年6月7日木曜日

「自分の木」の下で  大江健三郎


                                        2012年年6月6日(水)
by Eiji.K

◇ 大江健三郎の本は読みにくい。
文章は平易であり哲学的な表現ではなくやさしいのだが、内容が濃いのか思考方法が異なるのか、難しく感じてしまう。したがって、興に乗って一気に読むということができなく、読むことがしんどくなった本である。

◇ 感想も同様に小説での表現が理念的で、根源的な内容(ある意味であたりまえなことを言っている。)であることから、感想しにくい。

◇ 多くの作家は幼少時代の些細なことをよく表現しているが、どうして子供の時のことを詳細に覚えているのかと思う。創作した部分が多いのだろうか。

◇ 子供達に殺人と自殺をさせないこと。このような暴力を子供たちにふるわせない、子供自身もそれをふるわないと決意することが人間の「原則」であるといっている。そして、その「原則」に沿って様々な活動(国連・自衛隊最近は反原発等)の基本としていることは一面共感できる。

◇ 印象的な部分
・洪水で家ごと流されていた少女が、橋の欄干に激突する寸前に飛び移る光景を子供の時に体験し、生きるための選択を一人でできるようになりたいと思ったこと。
・我慢をして読む本があり、それを電車であえて時間つぶしに読む習慣を持つこと。(サラリーマン時代の読書習慣として読みだした本は最後まで読むことにしていたが、それが可能であったのは通勤時間という我慢をする時間があったからできたことが分かった。今の境遇では面白いものしか読まなくなっている。)
・同郷の伊丹十三とは深いつながりがあったことが“取り返しのつかないことは(子供には)ない”にでている。

以上

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