2013年5月8日水曜日

「虫眼とアニ眼」  養老猛司、宮崎駿

平成25年5月8日(水)
by Eiji.K

◇ この対談集はどちらかというと読みにくかった。
  読みにくい理由は次の点である。
  ・両人とも解剖学、アニメの専門家・大家であるが、違う分野の人の対談は話のテーマをかみ合わせることが難しく、対談内容が集約されずにあちこちに飛んでいる感じがしたこと。
  ・お互いに感受性がとても鋭い人たちなので、感性面が表に出る対談になり論理的なお互いの合意や共通項の確認作業等が表面的になっていること。(言葉にしなくてもお互いに了解していることはあるのだろうが、当方にはその境地になっていないので結果としてよくわからないことになる。)
  ・対談の題材が宮崎駿のアニメ映画の内容になるが、宮崎駿も言っているが、アニメそのものが感性の産物であり、評論しにくいものであること。

◇ 上記のことから、この本の構成として感性を具現化する方法として、宮崎駿は本人の妄想としてイラスト(このイラストは素晴らしい発想であり宮崎駿ワールドを示している。)を描いており、養老猛司は“宮崎駿アニメ私論”を書いているのではと思う。

◇ アニメから想像する宮崎駿は好々爺的なおとなしそうな人物かなと思っていたが、尖鋭的な頑固者であることが分かり、そういう性格でないとジブリを引っ張っていくことはできないのだろうと了解できた。

◇ 特に良かった発言内容
  ・今の日本人ができたのが室町期であり、その前の鎌倉期と比べ人間と自然との関係が根本的に変わっっている。室町期以降は、自然を敬わなくなり、人間同士の関係に関心が移っている。
  ・自然の中では問題が生じても「仕方がない」で済むが、都会では人のせいにする。今の子供たちはそれにすっぽり浸かっている。

◇ 蝶道について

by toraneco

解剖学者であり、「バカの壁」の著者としても知られる養老孟司(虫眼)とスタジオジブリのアニメ映画の監督として知られる宮崎駿(アニ眼)の対談集である。

「芸術表現は、その方法でなければ表現できないものを含んでいる。だから文字にならない、言葉にならない。」を言い訳に自分なりの解釈を。
虫眼でディテールを認識する感性を磨き、アニメで物差しみたいなものを感じよう!。

時代認識:
・「ぼくらの文明は退廃している。」
・「日本人は森を国土と心の中に残している民族、どっかで原始的なんだ」
・我々は、平安末期、応仁の乱に生きている。塀の外は飢餓・天災・疫病の世界
・脳で考え、脳で見ている脳化社会。教育の課程から、実物を抜いてしまっているのが、いまの教育である。「生きていくための武装に欠けている」
・「世の中とは、いつもどこかがおかしいものなのでしょう。」

・現代は、みんなが人間嫌いになっている時代
何故か → 現代は人間に関心が向きすぎている。
感性=ディテールを感知する能力、差異を見分ける能力を、人間関係の中に見ている
自然環境はものすごいディテールで成り立っている。→なぜそこを見ないのか?

・都市化、脳化社会
「我々が見ているのは動いている世界、世界が動かないと思っているのは脳みそがやっているから。」
都市化=進歩 で易きについたが、その先は荒地になる

・宮崎アニメが提示するモノ
何かを出すと変化そのものが見える。物差しみたいなものを一つ出してやると、スーッと全部が見えてくる。
日本文化 「平家物語」「方丈記」 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
 自然に対する感覚
子どもたちに「生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画はつくらない。」と踏みとどまって映画をつくっている。→ 本当だと思うことは、子どもに語れるだろう。

あとがきで、やはり宮崎駿が好きなんだと納得した。
「必要なのは、理念を語ることではなくて実際に何かをやることです。」


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