2014年4月2日水曜日

「流れる星は生きている」  藤原てい

2014/1/15
by Kumiko.O

推薦の理由(次のような思いがあって推薦した)
    アルバイト先で、数学の先生が4人いる。その先生方が尊敬して止まないのが藤原正彦であった。藤原正彦が今日あるのは、「藤原てい」という母があったればこそという言葉に、最初は立派な子供に育てるための秘策があるのかと思い「藤原てい」に興味を感じた。
    この読書会は、自分の好み以外の本に出合えることに意味があると小沼さんがつぶやいていたことが気になっていて、自分の読書の嗜好を打ち破ってみたかった。また、推薦する図書がどのような反応や感想をもたれるかに興味があった。あえて自分の嗜好に反する図書を推薦図書とした。
    正月早々、悲惨な描写も多く、1月の推薦図書としてはふさわしくないのではと思ったが、終戦という時代があって、今があることを考えてみたかった。また、逆境におかれた人間のエゴ、本性、強さ、やさしさなども考えてみたかった。
    この本は、次の推薦図書の「日本のいちばん長い日」とも関連するので合わせて読んでみることで、興味も関心もなかった終戦をめぐるやり取りや、そこで振り回される民衆がいたことが少し理解できた。
    私は、人間模様を描いた小説に惹かれるが、その前にもっと本質的な人間が持っている本能・本性があるのではないか、それは「生きる・生きたい」ということなのか、まだ分からない。

感想
    凄惨、悲惨な場面が多い中で、知恵を使って生き抜いているところに勇気をもらった。例えば、石鹸売り 「私は、石鹸の包みの他に必ず容器をさげて歩いた。・・・味噌、残りの飯などをもらって帰ると子供たちは目を丸くして喜んだ」
    まず、行動することの大切さを感じた。行動を起こさなければ、親子4人生きていけない。
    「私の病気は子供三人の死を意味する。」強い意思
    人間の尊厳とは何か?極限の中で尊厳を保つことができるのか。「「物ごい」をすることを思いついた。・・・私は激しい屈辱と闘いながら、また押してみた」
    良い人ばかりではない。169「あなたがたのような貧乏団と一緒じゃこちらが迷惑しますよ」私はくやしさをこらえて、「ただ、あなたたちの後を犬のようについていくのだからかまわないでしょう」・・・ところがかっぱおやじは私たちがその動向を監視している裏をかいて出発してしまった。「あと五日たったら出発するから用意しておきなさい」と親切ごかしにいっておいて、その晩の遅い汽車でこっそり南下してしまった。

    悲惨な、箇所はとても読む勇気がなくて飛ばしながら読んだ。きっと私の中に嫌なもの、辛いものから目を背けるという習性があるのだろう。そう思うといやなことを避けて生きてきた人間であったと思った。たぶんこの場面の中に私を登場させたなら、きっとエゴイストの「自分かわいい」かっぱおやじにも引けをとらない人間であったと思った。


by Eiji.K

◇ 「あとがき」の中で「引き揚げの話」は夫婦間で禁句になってしまっており、夫である新田次郎の作品の中にもその片鱗さえも書き込まれていないとある。自分の近親者の中にも戦争経験者は多数いたが、戦争の話を聞いたことがない。
  人間は、極限の生死をさまようような経験をすると、その渦中では人間のエゴが露骨に露わになることでもあり、他者に話すことではないのだろうか。

◇ 敗戦で生きて帰れることが困難な逃避行で、頼りになるべき男が兵隊や捕虜にとられてしまい、途方に暮れた女・子供中心での脱出劇では、集団内での相互不信、疑心暗鬼、わだかまり等の厳しさ、いたたまれなさは過酷である。結局、戦争の悲劇を最終的に被るのは女性たちであるという事実をよく示している。

◇ また、成田さんという団長が逃避行の中で置き去りにされてしまう場面があるが、高齢者もまたこのような悲惨な状況の中では女・子供同様、犠牲になったことが多かったのだろうと想像できる。

◇ 苦しい脱出劇の中で引揚者は、どうせ死ぬにしても一歩でも日本に近づいて死にたいという「望郷の念」が書かれているが、この感情は現代の我々には経験がなくわからないが、日本人に共通している大変強烈な感情なのだろうと思う。

◇ 自分の子供たちが飢えているのに他の家族が食事をしていることを見せなければならない状況を作者は“人間のいかなる部分に加えられる残酷よりも食べられないということを自覚させるほど大きな罪はない。”と言っている。
  一昔前の日本では当たり前の光景であったことであるが、現代の飽食の時代では全く考えられないことである。

◇ 母親として子供たちを日本に生きて帰らせるために苦難を乗り越えてきた母性の強さは素晴らしく、故郷に帰り、家族に会う場面は事実に即したことであり感動的である。

◇ 息子の正広がジフテリアに罹り生死不明な状態になり、しかも血清注射を打つ費用が工面できないようなときに、救世病院の医師に時計を1000円で買い上げてもらい息子が助かった話が出ているが、そのような医師(日本人)がいたことは救いを感じる。

◇ 宮尾登美子の「朱夏」はこの小説と同様の内容である。

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