2014年4月25日金曜日

「日本のいちばん長い日」    半藤一利

平成26年3月12日(水)
by Eiji.K

◇ 玉音放送を国民が起立して聞く場面は、映画・TV等でよく見る場面であるが、放送さ 
 れるまでに実に様々な局面があり苦労して放送ができたことを初めて知った。この日が表
 題の「日本のいちばん長い日」というのは誇張された表題ではないと思う。

◇ 玉音放送による天皇の声明では、一般国民は戦争に負け、日本が降伏するということを理解できないのではないかと思っていたが、天皇放送の後に37分にわたりNHK放送局員による「ポツダム宣言の内容」、「聖断の経過」等が放送されていたことがエピローグに書かれており、それにより一般国民は了解できたのだろう。

◇ 満州事変から太平洋戦争までの歴史を今から鳥瞰すれば、軍部が天皇の統帥権を利用し、 
 政治を無視し、すべてを事後承諾の形で専横・独裁してきたといわれているが、このドキ
 ュメントを読む限り鈴木首相等政治家の役割はそれなりに大きく、国家としての諸手続き 
 などは、それまでの近代化の歴史経過を踏まえ踏襲されていたことを知った。

◇ ポツダム宣言受諾の最終判断は時の裕仁天皇による決断が日本の最後の崩壊を阻止し、日本を救うことになったことがよくわかる。優柔不断で臣下の意見を聞くだけの天皇であったら北海道はソ連の支配下に置かれていただろうし、広島・長崎以外の場所にも原爆が落とされていたことが想像できる。

◇ 特に、ポツダム宣言受諾後の日本の国体護持について、天皇が形は変わっても存続できるとの判断を示したことが決定的であった。それがなければ軍部はポツダム宣言受諾を了承しなかったと思われる。その判断を天皇はどのようにしたのか。自らは戦争犯罪人の責任者として極刑になり、天皇制が消滅する可能性が高かった状況にあったはずである。何らかの連合国側の意向についての情報があったのかその点が気になる。軍部にポツダム宣言を受諾させるために天皇として確信はないがあえて言ったことなのか。

◇ 8月14日に宮城内で叛乱が生じ、近衛師団長が惨殺されたとの歴史史実は知らなかった。歴史的にも軍人は叛乱首謀者のような直情型の人達が常に存在するが、職業としての属性から避けられないことなのだろうか。現代においても、自衛隊等へのシビリアンコントロールは機能しているのだろうか。

◇ ポツダム宣言の連合国側にソ連が入っていないことから、ソ連は、日本の捕虜軍人をシベリアへ連行することができたことが分かる。

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