2015年1月15日木曜日

「ボタニカル・ライフ - 植物生活」  いとうせいこう

平成27年1月14日(水)
by Eiji.K

◇ 現状での私の植物鑑賞・花を愛でる対象は、山登りをやっている関係からか、高山植物
 である。高山植物は一般に標高2000㍍程度から現れるが、殆んどは厳しい環境条件下(寒
 冷・強風・ガレ場等)で生息している。花の種類によっては、その山にしか存在しなく、
 見られる時期も限られているものが多い。したがって、それらはこちらから出かけること
 で初めて見ることができる花である。

◇ 鶴ヶ島市から近郊へ季節ごとに花(桜・芝桜・ツツジ・あじさい・牡丹・藤・曼珠沙華
 等)を見にゆくことも多いが、これも咲いている所へ出向く行為である。

◇ この本に出てくるベランダーの定義として、マンションやアパートなどで植物を鑑賞す
 る前提は、地面で植物を育てるのではなく、鉢の中で育てることが基本となる。地面と鉢
 の植物に対する環境差は大きい。地面では一度埋めれば枯れるまで植え替えをすることは
 稀であり、水やりも少ない。一方、鉢では頻繁に水やり・日当たりを考慮した移動等が必
 要になる。見方を変えれば植物の生殺与奪権のウエートがベランダーでは高いといえる。

◇ 上記は、花を愛でる方法として自然の中でみることと、加工した空間の中で見ることの
 違いで花を愛でることの行為は同じである。

◇ 我が家の窓際にも鉢植えがいくつかあるが、この作者のようにもっと愛情を持って観察
 し、こまめに世話をしなければいけないことを生殺与奪権を持っている者はその義務を果
 たさなければいけないことを知らされた。

◇ 良かった箇所
 ・アマリリスに対する表現:アマリリスは最高だ。こいつとなら結婚してもいい。
 ・レモンポスト:我が家のレモンポストもほっといたままで20年以上が経っている。
 ・盆栽:ベランダーと盆栽の違い
 ・サボテン:植物人間などという言葉は人間に対しても植物に対しても失礼だ。
 ・シクラメン:「シクラメンのかほり」との対比は秀逸である。
 ・春:植物はみんな春が来ていることを知っていたのだ。
 ・抽象的な他人の目:春の花の奇跡的な饗宴に対する感動は、ベランダー一人が見るだけ
  では存在の重みに吊り合わないので他人の人にも見てもらいたいという気持ちの表現
 ・ヤゴ:昆虫の生体に対する感動
 
以上


by Kumiko.O

ベランダーとはベランダに人化する英語の接尾辞“-er”を付けたもので、ベラダンにプランターや鉢を置き、そこで花や野菜を育てる人のことをいう。一軒家の庭で園芸(ガーデニング)をする人のことをガーデナーと呼ぶが、ベランダーはその対語にあたる。アパートやマンション、庭のない一軒家に住む人向けにベランダ・ガーデニングを提案する園芸ライフスタイルマガジン「PLANTED(プランテッド)」の編集長“いとうせいこう”による造語である。(日本語俗語辞書より)

これによれば、私は「ベランダー」である。現在、屋外に43鉢、室内に16鉢ある。
この本を読んで、なぜ著者は「ベランダー」になったのかを考えた。
その前に、自分のことを考えてみた。なぜ私は50鉢以上もの鉢やプランターの植物を育てているのか?

マンション住まいでは、どうしても緑が少ない。窓の外に目をやった時に緑に癒されたいと思ったから。対象に選ばれた植物は特に系統的に選んだものではない。私に癒しを与えてくれそうなもの。ゴールドクレスト、トネリコ、縞薄、蛍袋、食わず芋、君子欄、水仙、朝顔その他諸々。
選んだものに、愛情を感じているわけではない。相手が一方的に癒してくれればよい。
ここが、著者と私の違いのような気がする。著者は植物に関心があり、それはペットショップにいって、目が合ってしまった犬を購入するのと似ているような気がした。

植物と著者の間に、ペットに近い関係ができているように思われた。よく、コレクターと言う類の人がいて、「桜草」「十文字草」「海老根」「さつき」などを収集している人がいるが、その人たちは綺麗な花を咲かせること、珍しい品種を集めることに重点がおかれていたように思う。それと著者は違っている。
「・・・かよわい花を西日に当てて悠然と煙草などを吸っていることもある。植物からしてみれば、俺は愛の足りない人間にちがいない。しかし、それでも僕は十分必死なのだ。しおれた花には心をいため、表土を覆ったカビをみればガクゼンとする。その時、俺はかつてないほど俺以外の生命を愛しているのである。」愛していると言い切っている。私と著者の植物に対する感じ方と距離感を感じる点である。
特に著者の思い入れを感じた植物は「アマリリス」の章である。まるで滑らかな肌をもった女性に接するような著者の視線を感じた。

なぜ著者は「ベランダー」になったのかについては、推察の粋をでないが「人は何かを育てることが好きなのかもしれない。昔はやったタマゴッチも育てごっこだった。その場合、育てる対象が生きているものの方がより感情が入りやすいのかもしれない」と思ってみた。

この本を読んで良かったのは、自分の鉢植えの植物に対する接し方を見直すことができたことである。この本を読まなければ、「愛」などを思うこともなく水やりをしていた。これからは「おはよう」などと声でも掛けながら水をやってもようかと思った。

以 上


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