2015年3月7日土曜日

「岬」   中上健次


by Takako.Y

 哀調を帯びた短いセンテンスが、秋季(彼)を取り巻く様々な人々をまたその関係性を鮮やかに描き出している。ときに地形や自然もありありと描写される。
 「土方は彼の性に合っている。・・・・・土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方が好きだった」と二十四歳の秋幸は何も考えずにいられる土方仕事に打ち込む。

 血縁、とりわけ自分の出生への嫌悪感が作品全体に漂っている。実の父である「あの男」への憎悪は激しい。あくどいやり方で他人の山や土地を奪って財産を増やしたと噂される「あの男」。秋幸の母を妊娠させたときに他の二人の女性をも妊娠させた。多くの男たちに憎まれ、たくさんの女たちを泣かせた「あの男」。

 その男からいつも見られている。子供の頃からその視線を感じてきた。自分の顔は「あの男」にそっくりで「世の中で一番みにくくて、不細工で、邪悪なものがいっぱいある顔だ」と思う秋幸は「虫唾が走る。反吐が出る」「きれいさっぱりなかったこととして、消してしまいたい」と苦悩する。
  「あの男」と同じようになりたくないから自身の欲望も余計なものとしてそぎ落としたいと思う。だから土方仕事に没頭しているときが好きなのだ。
 身近で起こった殺人事件や父親の違う姉の精神の病気などの本当の理由は「山と川と海に囲まれ、目に蒸されたこの土地の地理そのものによる」と秋幸は思う。

 (被差別部落出身の中上は「部落」のことを「路地」と表現する)被差別部落出身ということに対する嫌悪も「土地の地理」に含まれているのだろう。
 血の繋がりに縛られているという閉塞感から逃れたくて、同じ父親の血を引く妹かもしれない女と男女の関係を結んだ。それまで封印していた欲望を開放することによって、「あの男」そのもの、母も姉も、(自殺した)兄もすべて自分の血につながるものを凌辱しようと。
 迫力あるクライマックスては、妹を犯したと確信することによって秋幸は何者かから解放され、新しい一歩を踏み出す。
 物語はさらに展開されて「枯れ木灘」へ。

                    
by Eiji.K

◇ 紀州弁の方言や肉親や親戚関係の複雑さ、会話している主が誰なのかわかりづらいこと
 があるが、読み応えがあり、大変深い心情吐露が表現されていて久しぶりに読み応えのあ
 る読後感である。

◇ 黄金比の朝
  昭和40年に浪人生として初めて群馬県から東京へ出て、予備校に通っていた頃を思い
 出す。大学に入ってからも主人公の兄のような過激家が周りに多く、ノンポリの学生にと
 って刺激的であった。また、当時は、世の中の動きが激しく、現在のようにある程度確立
 され、落ち着いている時代とは著しく違う時代であったことを感じる。

◇ 火宅
  一度読んだだけでは登場人物の人間関係がよくわからない。過去と現在も曖昧な感じが
 する。書かれているような境遇・社会環境が一昔前にはあったことは理解できるが、現代 
 では想像することが難しい。
  漫画「巨人の星」で父親がちゃぶ台をひっくり返す場面があるが、そのような場面が日
 常的になくなってきたのは世の中が豊かになり、どうにもならない感情の発露を発散させ
 る必要がなくなってきたのか、また、個人の権利意識が尊重され、家族を殴る、蹴るとい
 うような理不尽な行動は「虐待」と言われ、警察沙汰となる社会の監視の目があり、自制
 されるようになっているのか。

◇ 浄徳寺ツアー
  主人公の怒り・激しさ(自分の子供の出産に立ち会わない、ツアー参加の老人たちへ軽
 蔑、体育会系の左翼運動家への敵視、関口由紀子への暴力、白痴の子どもへの視線等)が
 どこから来るのか、どうしようとしているのかが不明であり、20代の感情が今後どうな
 っていくのか不安を抱かせる内容である。なお、浄徳寺門前町の温泉描写がリアルである。

◇ 岬
  火宅の続編である。現代の家族は核家族化が主流であり、小説に出てくるような両親が
 異なる異母兄弟の家族構成はあまり存在していないが、昭和のこの年代では実在していた
 のだと思う。経済的な貧しさにより寄り添って生きていくしかなかったのだろうが、現代
 は一定の生活水準の向上でこのような境遇はなくなっていると思う。
  彼・秋幸はそのような重い、どうしようもないしがらみを抱えた中で、自立していこう
 とする意欲が感じられ、共感を覚える。見方を変えれば、人間としての強さの核のような
 ものを持っていられるのではないかとも思う。

0 件のコメント: