2016年4月7日木曜日

「蕁麻(いらくさ)の家」   萩原葉子

              
                                             平成28年4月6日(水)
by Eiji.K

◇ 若い娘の家族間の葛藤、いじめ、父親の無理解などの世界は、当方にとって経験・体験がなく、まさに異次元の世界である。

◇ そのようなどろどろした感情を読み進めるのは共感しづらく読みにくかったが、「岡」が出てきて事件として展開する様は面白かった。

◇ 岡に自分から近づいていってしまった理由は、自分は値打ちのない居候娘なのだからと思い込、家族からも淫乱・醜女と言われ、食膳の差別待遇等、家庭環境が破滅の渕ににじり寄ろうとさせた。と言っているが、これは現代でも同じ問題であり、家族間の絆のようなものが大切であるとのことだろう。

◇ 天才詩人の娘として世間から見られていたが、現実の実態は全くかけ離れたものであったため、「これだけは、書かなくては死ねない。」と思うようになり、大変呻吟しながら書き進めていったとの「あとさき」の話はよく理解できる。

◇ 特に、「自分を書くことは、なんと難しいことか。書くからには自分の恥なしには作品は生まれない。」と吐露している点は共感できる。

◇ さらに、親類たちから「家の恥を晒した」との苦情が来たが、書き終わったあとは弱者と強者が入れ替わったのを覚えた。これで世の中の怖いものがなくなったのだと私は思った。とあり、苦しみ抜いて書いたことが報われた成果だったのだろうと思う。

◇ 萩原朔太郎は私の故郷前橋の数少ない偉人であり、前橋文学館は“萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち”との標題となっている。その朔太郎は娘の葉子から見ると、「私の思春期に勝の傍らで、どんな心の疵を受けて過ごしていたか、その疵がいかに深く暗いものであるか、同じ家の中に暮らしても、洋之助は一度も覗いては見ないのだった。」とあり、人間・父親としては失格者であったことを知ることができた。

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