2016年11月2日水曜日

「無私の日本人」 磯田道史

平成28年11月2日(水)
by Eiji.K

◇ 穀田屋十三郎

 ・映画「殿、利息でござる!」の原作である。
 ・本の登場人物は映画になった俳優のイメージがあると身近に感じられる。
  穀田屋十三郎…阿部サダヲ 菅原屋…瑛太 甚内…妻夫木聡
 ・穀田屋は現在でも酒造メーカーとして宮城県黒川郡大和町に現存している。
  ・日本人の心を解明しようとした作家として著名なのは司馬遼太郎である。歴史上の人物を通して膨大な資料を読みこなし・駆使して追求した作家であるが、司馬遼以後、その作業を受け継いでいる作家は磯田道史ではないかと思っている。

<印象に残った文章>
 ■ 江戸時代は徒党というものが蛇のごとくに嫌われた。
   3人以上が密かに集まり、御政道について語れば、謀反同然の行為とみなされた。
   ⇒明治以降の日本の政党政治がみすぼらしいのはこれの影響があるのか。
 ■ 徳川時代の武士政権は、もともと軍隊であり、民政についてはほとんどを領民に任せている。
   有力農民を選んで庄屋(肝煎)に任命し、村単位での徴税と民政を請負わせた。 
 ■ 江戸時代の日本の人口 3000万人 庄屋数は50万人 百姓の50人に1人は庄屋である。
   庄屋=行政官・教師・文化人・報道機関であり、この国を下から支えていた。
 ■ 藩の役所はことなかれ主義で動いている。 事例行政は奈良・平安の律令官吏から始まり、鎌倉・室町幕府をへて江戸時代に引き継がれ本格化した。
⇒現代でも残る官僚主義は長い歴史の産物であるといえる。
 ■ 江戸期の庶民の「親切・やさしさ」はこの地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさを見せた。倫理道徳において一般人がこれほどまでに端然としていた時代も珍しい。
   ⇒吉岡宿の上町の行動に対して、下町の庶民はじっとしていることができず自主的に町の有力者に声をかける行動に出た。
   ⇒日本の江戸期に作者の言う「親切・やさしさ」がどのように成立してきたのかその経緯が知りたいと思う。
 ■ 江戸人は庶民に至るまで「体面」というものの占める割合が著しく高かった。
   ⇒吉岡宿の下町の人がだれも金を出さないと上町の住民に対し体面がたたない。
 ■ 江戸社会は、その人の身分に応じた行動を取ることが約束事として成り立っている社会である。
   ⇒身分に応じた振り舞をせよとの戒め
   ⇒身分制がなくなった現代は、身分制の利点でもあった人の行動規範までなくなってしまっている。
 ■ 江戸時代の日本人の公共心は、世代をタテに貫く責任感で支えられていた。
   「そんなことをしたらご先祖様にあわせる顔がない。きちんとしなければ、子や孫に申し訳ない。」
⇒家の永続、子々孫々の繁栄こそ最高の価値と考える一種の宗教
■ 十三郎たちは、約束した金額を準備できなかった場合、切腹の覚悟をしていた。
⇒切腹は武士だけの潔さではなく、庶民も廉恥や、面目が立たない場合の対処方法として実行されていた行為である。このすさまじさはどこから出てくるのだろうか。
■ これだけの善行をしたにもかかわらず、十三郎たちは、遺言でそれらの行動を人に伝えるなと言っている
⇒日本人の奥ゆかしさであるが、現代においては廃れてしまったものではないかと思われる。


◇ 中根東里

 ・若い頃から中国語を学び、四書五経等の儒学を中国語で理解できる中根東里という天才を題材に取り上げるのは、司馬遼の取り組み方と共通しているが、その素材を通じて現代においても
共感し、蘇らす展開力・手法がイマイチである。(司馬遼の描いた戦国武将、坂本龍馬、河井継之助等の書き方)


太田垣蓮月

 ・司馬遼には女性を主人公にしたものはほとんどないが、この作家は書けそうである。
<印象に残った文章>
江戸人の手指へのこだわりはすさまじい。和服は体の線を隠し、手だけをのぞかせる。
⇒手指よりも襟元がポイントとなったのではないか。

あとがき

・自他と峻別し、他人と競争する社会経済では「経済成長」が価値観の中心となってくるが、「そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか」と作者は問いている。
・本来、日本人が持っている“不幸になることは、隣よりも貧しくなることではない。”というきちんとした確信が失われることが怖い。
・落とした財布が戻ってくる国の方がGDPの競争よりも大切である。
・上記の3人物に共通するのは、“ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。”
  ⇒浄化の力を宿らせた無私の日本人は現代でも存在することができるのだろうか。

以上

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