2017年7月6日木曜日

「応仁の乱」  呉座 勇一

平成29年7月5日(水)
by Eiji.K

◇ 30万部を超えるベストセラーの本であるので期待して読んだが、この本は読み物というよりは学術書そのものである。作者は11年間に及ぶ乱世の結果を歴史の後追いとして見るのではなく、当時の目線で、たくさんの登場人物の考え方で、様々な状況変化にどのように判断して行動に移していったかを臨場感をもって描いたつもりであると言っている。(興福寺の経覚や尋尊の日記には彼らの当時の感想が書かれている。)

◇ この設定は、乱の当時の社会・経済・政治情勢、登場人物の生い立ち・性格、庶民・武士の日常生活、生活・慣習・慣行等の基礎知識がある学者・研究者達には受け入れられる方式であると思うが、基礎知識がない者にとっては、登場人物の相関関係(血縁・地縁等)、近畿地方の地名場所、合従離散頻度等が余りにも複雑であり、読者は本を読みこなすことに精一杯となり、歴史の面白さを感じる前に歴史を読みとる難しさの方を感じてしまう結果になっているのではないか。

◇ 作者の上記設定は理解できるので、歴史事実の積み重ねからのみ提起するのではなく、もう少し状況や歴史を俯瞰した立場で書いてもらえたら爆発的なベストセラーになるのではと個人的には思う。

◇ 登場人物の漢字名前にはルビをつける回数をもっと増やしてもらわないと、読書習慣として読めない名前の人物には感情移入がしにくい。

◇ 室町幕府の応仁の乱は、日本歴史の転換点といわれているが、幕府・将軍の権威が失墜し、京都中心の幕政参加の政治秩序が武士の自国支配の秩序へと移り、貴族や寺院の支配する荘園制度(農民=農奴)が農民=足軽の下剋上・群雄割拠の時代に入り、茶道・華道や京文化が地方に広がる契機となったことなどはこの乱の結果としての歴史功績であったのだろう。

◇ 今年の4月に奈良にツアー旅行した時にガイドが奈良市内にある奈良ホテルは皇族が宿泊するホテルであるとの説明があり、記憶していたが、この本に経覚が鬼薗山(きおんやま)に城郭を築き移住したあり、鬼薗山は現在の奈良ホテルの敷地にある兵陵であるとの記述があった。現在住んでいる埼玉県の比企郡という地名は戦国時代の豪族の名前であることは長年住んでいることにより知る機会があったが、この本に出てくる地名、古戦場名、人名等は京都や奈良に住んでいれば歴史の重みをもっと身近に感じられるのだろうと思う。

◇ 次の戦国時代になると著名な歴史上の人物がたくさん出てきて、現代でも小説の題材として、また、様々な教訓・逸話として日常と結びついているが、この本に出てくる人物や出来事が身近に感じられないのは勢力争いに明け暮れ、魅力的な時代を先取りする英傑がいないせいなのだろうか。

       (朝日新聞記事より)





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